1975年および1976年、日本は自動車および半導体産業の急速な伸びを含めてビジネス史上に残る数々の景気後退の打開に成功しました。
デュラントの成功はこれに匹敵するものでした。
1908年の販売シーズンになってみると2500ドルのモデル5の大型オープンカーから900ドルの〈白い稲妻〉まであらゆる価格の車を揃えているのはビュイックだけでした。
この「稲妻」は売上げ台数が8485台と倍増し、ビュイックに〈大量〉生産の経験を与え、資本主義の歴史で決定的な対決のおぜん立てを整えたのです。
・・・そこへヘンリー・フォードが驚くべき声明を出しました。
「私はこれから大衆のための車を作る。
家族を乗せられるだけの大きさがあって、しかも個人が走らせたり手入れができるような小さい車だ。
最良の材料を使い、最高の人間を雇って、現代技術で考案できるかぎりの最も単純な設計にもとついて製造されるだろう。
しかし価格は非常に安くてまあまあの給料をとっていれば誰でも1台自分のものにできないことはない。
そして神の与えたもうた広々とした大地を家族と共に楽しむことができるだろう」
・・・フォードはその自負をモデルTで完全に実行しました。
その頑丈さとゆとりについてジョナサン・ヒューズが
「西部の男たちはヤマヨモギと岩石を物ともせずに大ウサギを追うことができた」
・・・と書いています。
また、ジャック・シンプロットが実際にやって見せたように野生の馬を追うことができるほどでした。