モデルTでグランド・キャニオンの谷底まで降りてまた登った男もいました。
このようにしてフォードは車の大衆化にとってしばらくの間障害となると思われたこと・・・
つまり道路のないという障害を克服しました。
しかし、最初の年には、850ドルの売価のモデルTは威勢のいい900ドルのビュイックに収益と市場占有率で遅れをとりました。
翌年収益増加のために、フォードはちょうど100ドル増やして950ドルに値上げをしました。
拡大した市場で2倍以上の1万2292台にまで売上げが伸びました。
しかし、ビュイック、オールズモービル、その他の企業がフォードより低い値をつけ始めたために、彼の市場占有率は再び低下しました。
この時がヘンリー・フォードの企業家としての正念場だったのです。
核心的な・・・
しかし、しばしば神秘的と見える企業の法則が、この自動車事業に最も決定的な役を果たす時機でした。
値上げ後の収益増加にのみ的をしぼって見る助言者たちは、各会社の手にあまるほど爆発的な市場の拡大に乗じて1910年に再び値上げをするよう主張しました。
ゼネラル・モーターズはその方法をとったのです。