「あなたがたが私のことを語り合っているところが教会です」とか
「寺をつくるな、君たちが念仏を唱えているところが寺である」
・・・という教えはそのことを示唆しています。
自分個人が偉いからではなく、自分の役割がその集団になくてはならぬものだから偉いのです。
つまり権限と責任の質と量が仲間より重くかつ多いから、その役割は敬意の対象になるのです。
それゆえ、グループの長は忘年会のときには悠々と上座にすわればよいし、挨拶のスピーチは当然のような顔をしていの一番に登壇すればよいのです。
会議のなりゆきが今ひとつ納得できないときは「次回にもういちど討論してから決めよう」と宣言すればよいでしょう。
こういう決断をするときに大事なことは、仮に部下から優柔不断だとか権威的だとか不評を買っても・・・
「だからといって世が末というわけではない」
「だからといって誠になるわけではない」
「だからといって私がだめリーダーと決まったわけではない」
「一度でも不評を買ったら、他のすべてについても不評を買うと決まっているわけではない」
・・・といった具合に、自分の心のなかの文章記述を工夫することです。
よく考えることが自衛の策なのです。