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    <title>今日のお昼</title>
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    <updated>2011-05-02T01:25:46Z</updated>
    <subtitle>月に一度くらい食べに行ったっていいじゃない</subtitle>

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    <title>間違いだらけの「父」の役割、「母」の役割</title>
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    <summary>日本の一家庭あたりの子どもの数は、1.8人と2人を割っているのが現状です。 さて...</summary>
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        <![CDATA[<p>日本の一家庭あたりの子どもの数は、1.8人と2人を割っているのが現状です。</p>

<p><br />
さて、私たちの世代をみると、4人兄弟、5人兄弟がざらにいました。</p>

<p><br />
さらに、祖母の時代にまでさかのぼれば、7人、8人、10人兄弟もめずらしくありません。</p>

<p><br />
明治の女性たちは、たいへんな数の子どもたちをうみあげていました。</p>

<p><br />
私の2人の祖母も、やはり明治女の例にもれず、ひとりは6人、もうひとりは10人の子どもをうみあげました。</p>

<p><br />
私自身、この祖母たちのもっていた気骨、迫力には、どんなに年をとってもとうていおよばないと思っています。</p>

<p><br />
多くの子どもをうむ苦労、育てる苦労、夫にしたがう苦労、そして、戦争や病気で大切な子どものうちの何人かを失った悲しみ、それらを通して、女性は母として、大地のようにおおらかでたくましく、やさしく、自分自身を育ててきたのでした。</p>]]>
        
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    <title>乾物野菜の凄さ</title>
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    <summary>日本人は歴史的に「乾物類」を重宝してきました。 高野豆腐や湯葉、かんぴょう、ひじ...</summary>
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        <![CDATA[<p>日本人は歴史的に「乾物類」を重宝してきました。</p>

<p><br />
高野豆腐や湯葉、かんぴょう、ひじき、昆布などです。</p>

<p><br />
これらの乾物を水でもどしたものと、なまのものをくらべてみましょう。</p>

<p><br />
100グラム重量で比較すると、乾物のほうが鉄分やカルシウムが3倍ぐらい多いのです。</p>

<p><br />
たとえば、しいたけを天日乾燥させると、化学変化がおこって、プロビタミンDができ、さらに、たんぱく質の量がふえたり、鉄分やカルシウム分もふえます。</p>

<p><br />
また、切り干し大根は、なまの大根にくらべて繊維もたいへん多いし、鉄分、カルシウム、それにたんぱく質も多くなっています。</p>

<p><br />
・・・このように、乾物野菜というのは、ただ流通に便利だというだけでなく、知らず知らずのうちに体得した昔の人の知恵によるものなのです。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
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    <title>乾物野菜は栄養素の宝庫</title>
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    <summary>では、栄養代謝にとって不可欠なこの超微量栄養素のじょうずなとり方についてのべてみ...</summary>
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        <![CDATA[<p>では、栄養代謝にとって不可欠なこの超微量栄養素のじょうずなとり方についてのべてみましょう。</p>

<p><br />
たとえば、根菜類には土のなかに含まれる金属イオンがたくさん入っています。</p>

<p><br />
鉄分、ナトリウム、亜鉛、フッ素、カリウム、リチウム、それにヒ素も入っています。</p>

<p><br />
これはふだんはあまり関係ないのですが、この100分の1マイクログラムぐらいのヒ素が、人体の栄養代謝のなかでひじょうに重要な働きをしているのです。</p>

<p><br />
繊維をとるためには、ほうれんそうとか春菊とか根みつばといったいわゆる緑の濃い野菜でなければなりません。</p>

<p><br />
ところが葉野菜だけ食べていても根菜類を食べなければ、やはり栄養素が十分とはいえないのです。</p>

<p><br />
ビタミンCとかAは地上にはえている野菜でいいのですが、土のなかには金属類がひじょうに多いので、土からとれる根菜類を食べないと、金属が不足して代謝が悪くなってしまうのです。</p>]]>
        
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    <title>不足しているミネラルは毛髪分析でわかる</title>
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    <summary>超微量栄養素が、ほかにどのような影響をおよぼすかについて、ある研究所で心療中の非...</summary>
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        <![CDATA[<p>超微量栄養素が、ほかにどのような影響をおよぼすかについて、ある研究所で心療中の非行児たちの毛髪分析をさせてもらった結果、えられたことをもとに話しましょう。</p>

<p><br />
普段から、カロリー、脂肪、塩分、砂糖が多くて、ビタミン、ミネラルが少ない食生活をしていると、超微量栄養素も不足しますが・・・</p>

<p><br />
同時にアルミニウム、カドニウム、水銀などの有害な金属を排泄する力も失われます。</p>

<p><br />
また、このような悪い食事を続けていくと、骨のなかからカルシウムが溶けでて、髪の毛のなかに排泄される一方、リチウム、ニッケル、モリブデン、亜鉛、クロムなどの超微量栄養素が、極端に少なくなります。</p>

<p><br />
亜鉛は、精白されない穀類、臓物類、カリフラワー、グリーンピース、カキなどの貝類などからとれるものですが、これが不足すると、味覚障害をおこします。</p>

<p><br />
味覚障害になると、異常食欲になったり、濃い味つけを好むようになり、野菜や豆類などは、まったく味がついてないと感じるようになります。</p>

<p><br />
ある毛髪分析の表はある非行児のものですが、残りの被検者6名全員もまったく同様のミネラルの異常を示したことには驚かされました。</p>]]>
        
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    <title>依存・畏敬の対象　5</title>
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    <summary>上手ないばり方(役割の維持と主張)とは相手に不快感を与えない役割主張のことです。...</summary>
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        <![CDATA[<p>上手ないばり方(役割の維持と主張)とは相手に不快感を与えない役割主張のことです。</p>

<p><br />
その骨子は相手のナルシシズム(プライド)を傷つけないことです。</p>

<p><br />
相手のナルシシズムを傷つけながらの自己主張をけんかといいます。</p>

<p><br />
ここで提唱するいばり方は「私は～と思います」式であり(私メッセージともいう)、「あなたは～です」式の非難型のものではありません。</p>

<p><br />
効率的であるいばるべきではないというビリーフにとらわれると万事がスローになります。</p>

<p><br />
会議ばかり開いて一向に何も決まりません。</p>

<p><br />
たとえばある会合で</p>

<p><br />
「いかがでしょうか、おひとりずつ自己紹介でもして、それから会議に入りましょうか。いかがいたしましょうか」</p>

<p><br />
・・・と司会者がていねいに参加者に伺いをたてました。</p>

<p><br />
参加者はお互いに未知であるからかしこまってじっと座っているだけです。</p>

<p><br />
司会者は</p>

<p><br />
「ではまず1人30秒ずつ自己紹介をして、それから会議に入りましょう」</p>

<p><br />
・・・と宣言するくらいの権限は持っています。</p>

<p><br />
つまらないことまでいちいち人の意見をきくのは時間のむだのように思えます。</p>]]>
        
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    <title>依存・畏敬の対象　4</title>
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    <summary>「沈黙は金である」とか「口は災いのもとである」・・・ このような言葉を信じ込んで...</summary>
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        <![CDATA[<p>「沈黙は金である」とか「口は災いのもとである」・・・</p>

<p><br />
このような言葉を信じ込んで、言うべきときに黙っていると、ますます屈辱感・劣等感・恐怖が高まってくることがあります。</p>

<p><br />
けんかのあと味はあまりよいものではないですが、沈黙を守ったためにいつまでも後悔するよりはまだましです。</p>

<p><br />
むかし私は受刑者のカウンセリングをした時期があります。</p>

<p><br />
ある受刑者がいうのに、人の家に泥棒に入るとき(自己主張に相当する行為)はこわくない。</p>

<p><br />
逃げまわっているときの方がこわい、と。</p>

<p><br />
私の経験では団交のとき、受けて立つより攻める方がずっと楽です。</p>

<p><br />
つまり攻撃性の外向化は、不安・恐怖を一時的にせよ吹き飛ばしてくれます。</p>

<p><br />
・・・そのことを生活の智慧で知っているがゆえに、小心者、憶病者ほどよく怒鳴るのです。</p>

<p><br />
怒鳴ることによって不安・恐怖を克服しようとしているのです。</p>

<p><br />
・・・ということはやたらに部下や妻子に当たり散らす上司はよほどの小心者・憶病者ではないかという推論がなりたちます。</p>

<p><br />
これは好ましくないいばり方ですね。</p>]]>
        
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    <title>依存・畏敬の対象　3</title>
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    <summary>ところで人の依存や畏敬の対象になるポジションにすわり続けるのは気の張る仕事です。...</summary>
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        <![CDATA[<p>ところで人の依存や畏敬の対象になるポジションにすわり続けるのは気の張る仕事です。</p>

<p><br />
自分自身は頼るものがないからです。</p>

<p><br />
それゆえ、リーダーは若干の孤独と不安に耐える能力が必要です。</p>

<p><br />
リンカーンは個室にこもって考えていたそうですが・・・</p>

<p><br />
「己を侍むにしかず」の心境になれる方法を自分なりに開発するとよいでしょう。</p>

<p><br />
アメリカ人のように配偶者の智慧を借用するのもその一例です。</p>

<p><br />
日本では会社のことを家庭で話さない流儀の人が多いようですが、配偶者はその仕事の門外漢であっても、当事者の自己盲点をつくようなアドバイスをすることが多いです。</p>

<p><br />
自己主張の効用自分の役割に忠実になるということは、状況に応じてイエス、ノーをはっきり表明する勇気を持つということです。</p>

<p><br />
これは自分の精神衛生のためにもよいでしょう。</p>

<p><br />
・・・というのは「自己主張」というのは不安・恐怖を消す働きがあるからです。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>依存・畏敬の対象　2</title>
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    <summary>「あなたがたが私のことを語り合っているところが教会です」とか 「寺をつくるな、君...</summary>
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        <![CDATA[<p>「あなたがたが私のことを語り合っているところが教会です」とか</p>

<p><br />
「寺をつくるな、君たちが念仏を唱えているところが寺である」</p>

<p><br />
・・・という教えはそのことを示唆しています。</p>

<p><br />
自分個人が偉いからではなく、自分の役割がその集団になくてはならぬものだから偉いのです。</p>

<p><br />
つまり権限と責任の質と量が仲間より重くかつ多いから、その役割は敬意の対象になるのです。</p>

<p><br />
それゆえ、グループの長は忘年会のときには悠々と上座にすわればよいし、挨拶のスピーチは当然のような顔をしていの一番に登壇すればよいのです。</p>

<p><br />
会議のなりゆきが今ひとつ納得できないときは「次回にもういちど討論してから決めよう」と宣言すればよいでしょう。</p>

<p><br />
こういう決断をするときに大事なことは、仮に部下から優柔不断だとか権威的だとか不評を買っても・・・</p>

<p><br />
「だからといって世が末というわけではない」</p>

<p><br />
「だからといって誠になるわけではない」</p>

<p><br />
「だからといって私がだめリーダーと決まったわけではない」</p>

<p><br />
「一度でも不評を買ったら、他のすべてについても不評を買うと決まっているわけではない」</p>

<p><br />
・・・といった具合に、自分の心のなかの文章記述を工夫することです。</p>

<p><br />
よく考えることが自衛の策なのです。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>依存・畏敬の対象</title>
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    <summary>たとえば第二次世界大戦中のことですが、陸軍のある兵士が輸送船の船長に 「船頭！早...</summary>
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        <![CDATA[<p>たとえば第二次世界大戦中のことですが、陸軍のある兵士が輸送船の船長に</p>

<p><br />
「船頭！早く船を出せ！」</p>

<p><br />
・・・と要請しました。</p>

<p><br />
「船長の俺に船頭とは何ごとか。貴官が謝らない限り出港しない」</p>

<p><br />
・・・と船長は立腹してみせました。</p>

<p><br />
他者に敬意を表してもらいたければ、まず自尊を示すことです。</p>

<p><br />
なぜヘンな意味でいばる必要があるのでしょうか。</p>

<p><br />
民主的という美名のもとに、ただにこにこしているだけではなぜいけないのでしょうか？</p>

<p><br />
リーダー(親・上司・教師など)は子ども・部下・生徒から見て依存の対象であり畏敬の対象だからです。</p>

<p><br />
依存の対象、畏敬の対象がはっきりしているとき集団はまとまりやすいものです。</p>

<p><br />
烏合の衆にはなりにくいのです。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>アメリカの自動車産業　4</title>
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    <summary>もちろんいつの時代でも市場の底をかするような安い製品を出す会社はあります。 ・・...</summary>
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        <![CDATA[<p>もちろんいつの時代でも市場の底をかするような安い製品を出す会社はあります。</p>

<p><br />
・・・しかし当時好調の小さな会社を統合して大きな自動車コングロマリットを作る道が開けていました。</p>

<p><br />
デュラントはそのような産業帝国を創り出そうとしていました。</p>

<p><br />
1910年、彼はすでにウォール街での財政支持体制を整え、ミシガンのフリントに製造工場を作ってその目標の達成をはかっていました。</p>

<p><br />
もしフォードがGMの例にならって値上げをしていたら、自動車産業の歴史は、少なくともしばらくの間はこのデュラントの目指すコースをたどっていたかもしれません。</p>

<p><br />
しかしビュイックにならって値上げをするかわりに、フォードは5分の1近く引下げて780ドルにしました。</p>

<p><br />
もしフォードが大きく販売を拡張するかあるいは生産費を落としたとしても、収支はとんとんの価格でした。</p>

<p><br />
このような自己充足的な価格というのは、企業家の持つレパートリーのなかでは伝統的な戦略です。</p>

<p><br />
製品が一つ売れるごとに損をしている会社も確かに量によってそれを埋め合わせることができます。</p>

<p><br />
それは資本主義の基本的な法則であり、ほとんどの企業が体験していることでしょう。</p>

<p><br />
要するに、フォードはその時のコストあるいは販売量を基準にして価格を設定したのではなく・・・</p>

<p><br />
もしそこまで値下げをすれば可能になると見込まれるより低いコストと、さらに増加を見込まれる販売量を基準に決めたのです。</p>]]>
        
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    <title>アメリカの自動車産業　3</title>
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    <summary>ビュイックを1150ドルに値上げし、フォードがそれに倣う余地はたっぷり残っていま...</summary>
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        <![CDATA[<p>ビュイックを1150ドルに値上げし、フォードがそれに倣う余地はたっぷり残っていました。</p>

<p><br />
・・・たしかに、通常の財務分析では、フォードとしては過去にそれでうまくいった戦略をつづけることのほかに、それに代る納得のいく道はなかったのです。</p>

<p><br />
ほとんどの評論家は低価格車には大きな市場はないと言い、それを製造する可能性など無視していました。</p>

<p><br />
コストが高くつきすぎるからです。</p>

<p><br />
さらに、個人所得は暖かい季節にしか使用できないような贅沢品を買うには低すぎました。</p>

<p><br />
労働階級にはまだその時期ではなかったのです。</p>

<p><br />
あのフォードの声明でさえ〈まあまあの給料〉の人間に限られていました。</p>

<p><br />
自動車産業は近代経済学の用語でいう〈自然価格〉を見つけて、落着きかけているかに見えました。</p>

<p><br />
ほとんどの製品には、本来コストをまかない〈妥当な〉利潤をあげる、ある決った価格というものがあると、経済学者は長い間信じていました。</p>

<p><br />
それは会計士が計算ではじきだせるもので、結局はその価格に向って供給と需要が落ちついていくというのです。</p>

<p><br />
ウイリー・デュラントは自動車は1910年にその点に達したと思いました。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>アメリカの自動車産業　2</title>
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    <summary>モデルTでグランド・キャニオンの谷底まで降りてまた登った男もいました。 このよう...</summary>
    </mt:EntryTags></mt:EntryIfTagged>
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://icelandicfilmcompany.com/">
        <![CDATA[<p>モデルTでグランド・キャニオンの谷底まで降りてまた登った男もいました。</p>

<p><br />
このようにしてフォードは車の大衆化にとってしばらくの間障害となると思われたこと・・・</p>

<p><br />
つまり道路のないという障害を克服しました。</p>

<p><br />
しかし、最初の年には、850ドルの売価のモデルTは威勢のいい900ドルのビュイックに収益と市場占有率で遅れをとりました。</p>

<p><br />
翌年収益増加のために、フォードはちょうど100ドル増やして950ドルに値上げをしました。</p>

<p><br />
拡大した市場で2倍以上の1万2292台にまで売上げが伸びました。</p>

<p><br />
しかし、ビュイック、オールズモービル、その他の企業がフォードより低い値をつけ始めたために、彼の市場占有率は再び低下しました。</p>

<p><br />
この時がヘンリー・フォードの企業家としての正念場だったのです。</p>

<p><br />
核心的な・・・</p>

<p><br />
しかし、しばしば神秘的と見える企業の法則が、この自動車事業に最も決定的な役を果たす時機でした。</p>

<p><br />
値上げ後の収益増加にのみ的をしぼって見る助言者たちは、各会社の手にあまるほど爆発的な市場の拡大に乗じて1910年に再び値上げをするよう主張しました。</p>

<p><br />
ゼネラル・モーターズはその方法をとったのです。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

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    <title>アメリカの自動車産業</title>
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    <summary>1975年および1976年、日本は自動車および半導体産業の急速な伸びを含めてビジ...</summary>
    </mt:EntryTags></mt:EntryIfTagged>
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://icelandicfilmcompany.com/">
        <![CDATA[<p>1975年および1976年、日本は自動車および半導体産業の急速な伸びを含めてビジネス史上に残る数々の景気後退の打開に成功しました。</p>

<p><br />
デュラントの成功はこれに匹敵するものでした。</p>

<p><br />
1908年の販売シーズンになってみると2500ドルのモデル5の大型オープンカーから900ドルの〈白い稲妻〉まであらゆる価格の車を揃えているのはビュイックだけでした。</p>

<p><br />
この「稲妻」は売上げ台数が8485台と倍増し、ビュイックに〈大量〉生産の経験を与え、資本主義の歴史で決定的な対決のおぜん立てを整えたのです。</p>

<p><br />
・・・そこへヘンリー・フォードが驚くべき声明を出しました。</p>

<p><br />
「私はこれから大衆のための車を作る。</p>

<p><br />
家族を乗せられるだけの大きさがあって、しかも個人が走らせたり手入れができるような小さい車だ。</p>

<p><br />
最良の材料を使い、最高の人間を雇って、現代技術で考案できるかぎりの最も単純な設計にもとついて製造されるだろう。</p>

<p><br />
しかし価格は非常に安くてまあまあの給料をとっていれば誰でも1台自分のものにできないことはない。</p>

<p><br />
そして神の与えたもうた広々とした大地を家族と共に楽しむことができるだろう」</p>

<p><br />
・・・フォードはその自負をモデルTで完全に実行しました。</p>

<p><br />
その頑丈さとゆとりについてジョナサン・ヒューズが</p>

<p><br />
「西部の男たちはヤマヨモギと岩石を物ともせずに大ウサギを追うことができた」</p>

<p><br />
・・・と書いています。</p>

<p><br />
また、ジャック・シンプロットが実際にやって見せたように野生の馬を追うことができるほどでした。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>食べ物の四段ピラミッド</title>
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    <summary>「毎日もっといろいろな生野菜や果物を食べ、健康になろう」という内容の新スローガン...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://icelandicfilmcompany.com/">
        <![CDATA[<p>「毎日もっといろいろな生野菜や果物を食べ、健康になろう」</p><p><br /></p><p>という内容の新スローガンが、「5　A　DAY」です。<br />
</p><p><br /></p><p>数字の5は、肉などの動物性脂肪の摂り過ぎなどの食生活を見直し、毎日の食事がデザート、サラダ、おやつも含めて、<br />
</p><p><br /></p><p>「1日最低5種類、5カップ、5回、新鮮な野菜や果物を摂ろう、できるだけ種類を多く食べよう」</p><p><br /></p><p>というものです。<br />
</p><p><br /></p><p>この食育運動は生鮮野菜果物生産者とその販売協会、連邦政府農務省と厚生省、全米科学アカデミー、国立がん研究所、全国コレステロール教育プログラム、健康体力づくり事業財団などによる産学協同企画です。</p><p><br /></p><p>全国のスーパーマーケット、食料品店、マスコミも参加して、2000年まで続けられました。</p><p><br /></p><p><br /></p>]]>
        
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    <title>バラエティとバランス</title>
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        <![CDATA[<p>先頃、米国ワシントンに本拠をもつ食育財団国際食情報協会は、92年、米国各地に住む6～9歳までの少年少女計400人の面接調査を集計して発表しました。</p><p><br /></p><p>これによると、6歳児の過半数は健康づくりの基本はバラエティ(多種多様)とバランス(加減)であり、食べ過ぎないことも大切だと理解している。<br />
</p><p><br /></p><p>また応答者の63%は新しい味の挑戦、試食は楽しいとしている。</p><p><br /></p><p>10人中7人はミルク、シリアル、バナナ、ニンジンなどは毎日食べるべきで、時々にした方がよい食品と識別できることも判明。</p><p><br /></p><p>「食べたいものは何時でも何でも食べる」と答えたのは、全体の10%に過ぎなかったそうです。</p><p><br /></p><p><br /></p>]]>
        
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